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【ウクライナ支援】樋口隆一名誉教授を招いてチャリティーイベントを開催しました

エース・リフォームと(一社)グリーンリーフは8月1日、豊丘村の道の駅「南信州とよおかマルシェ」でチャリティーイベント「蘇る、人道支援の使命」を開催しました。
第1部では明治学院大学名誉教授の樋口隆一さんが「祖父樋口季一郎の北海道防衛とウクライナ情勢」と題して講演。第2部では樋口さんと小沢隆さん(空手道禅道会首席師範)、そしてウクライナとロシア双方に親族がいるニコライ・キリロフさん(飯田市)らが座談会を行い、日本で暮らす民間人の私たちがこれから何をできるかについて話し合いました。

ロシア武官に好かれ、ユダヤ人を助けた樋口季一郎

音楽学者で指揮者でもある樋口さんは、ドイツをはじめヨーロッパの研究者との交流が深く、ウクライナやロシアへも多く訪れています。樋口さんの祖父である樋口季一郎氏(1888~1970)は、旧日本陸軍における対ソ連戦略の要として活躍。ドイツに迫害されたユダヤ人がソ連から満州を経由して避難する脱出路「ヒグチルート」の実現に尽力したほか、大戦末期には北海道や北東太平洋を管轄する北部軍の司令官としてソ連軍と対峙したことで有名です。

禅道会による空手演武で幕開け

 

樋口さんは、祖父がポーランドの駐在武官だった時代にワルツの名手として現地の社交界で人気を博したエピソードを披露。「淡路島出身で幼い頃から人形浄瑠璃に親しんでいたことが影響したのだろう。私が音楽の道に進んだのも祖父の影響が大きい」と振り返りました。

当時の西欧は貴族出身の武官が多く、庶民の出身だったソ連の武官は他国から差別的な扱いをされていましたが、季一郎氏は身分のへだてなく接してソ連武官に気に入られたといいます。その結果、コーカサスやウクライナなどソ連の支配地域を視察する機会を得、その時にユダヤの老人と出会った体験が、後にユダヤ人救助への尽力につながったともされています。

講演する樋口隆一さん

また北部軍司令官(陸軍中将)時代には、北海道の捕虜収容所にパン焼き窯を設置して欧米人捕虜の食生活を改善させたほか、日本がポツダム宣言を受諾した後も侵攻を続けたソ連軍に対し、千島や樺太で抗戦を続けました。これによってスターリンが抱いていた北海道領有の目論見が阻止されたといいます。

スターリンは樋口中将を戦犯指定して身柄の引き渡しを要求しましたが、GHQがそれを拒否したのは、ユダヤ人社会からの働きかけが大きかったともいわれています。

「良い縁を太くすることで苦境を乗り越えていきたい」

第2部では、エース・リフォームの社長大谷が司会を務める座談会を実施しました。

通訳として難民を支えているニコライさん(ウクライナ育ち、ロシア国籍)が、「昨年2月の侵攻開始以降、ロシアにいるかウクライナにいるかの違いだけで、親族同士でも話が噛み合わなくなってしまった」とつらい心情を吐露。「今は両国の”縁”が悪くなってしまったけれど、自分はこれからもできることを続けて、新しい縁を増やしたり、良い縁を強くしていきたい」と語りました。

民間による人道支援のあり方を探った座談会

禅道会の小沢師範は、空手の普及活動で両国を訪れた経験を語り「ロシアの人たちも本当は純粋でいい人たちが多い」と述懐。禅道会ウクライナ支部長のイゴール・ユカリチュクさんが構想している、負傷兵のためのリハビリセンター設立に尽力していく決意を語りました。
樋口さんは、「祖父はユーモアのセンスがあり人間関係が多彩だった。ユダヤ人支援も、熱意だけでなく関東軍や内務省の上層部にしっかり根回ししたからこそ可能だった。セクショナリズムに陥ることなく、立場が違う者同士でも議論できることが大切だと思う」と述べました。

会場には約100人の皆さんが集まり、有意義なイベントになりました。
エース・リフォームはこれからも、ウクライナのために何ができるかを模索し、支援を続けていきます。

追記

同イベントが地元新聞『南信州』2023年8月3日付で報道されました。